大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

神戸地方裁判所 昭和33年(わ)147号 判決

被告人 三木浅道 外一二名

主文

被告人三木浅道を懲役三年六月に

被告人中田隆文、同浜崎二三男を各懲役五年に

被告人伊藤幸也、同若林信蔵を各懲役二年に

被告人山本勝を懲役一年に

被告人山口芳清を懲役十月に

被告人大頭章良を懲役八月に

被告人三木浅重を懲役一年に

被告人橋詰啓一を懲役三年に

被告人森元幸男、同砂川忠雄を各懲役一年に

被告人上田三好を懲役八月に

それぞれ処する。

未決勾留日数中

被告人三木浅道に対し六十日を

被告人中田隆文に対し百五十日を

被告人浜崎二三男に対し百日を

被告人伊藤幸也に対し百三十日を

被告人若林信蔵に対し九十日を

被告人山本勝、同山口芳清に対し各二百三十日を

被告人橋詰啓一に対し三十日を

被告人砂川忠雄に対し百日を

被告人上田三好に対し二十日を

右各本刑に算入する。

但し、本裁判確定の日から

被告人大頭章良に対し二年間

被告人三木浅重に対し三年間

被告人伊藤幸也、同若林信蔵に対し各五年間

それぞれ右刑の執行を猶予する。

被告人大頭章良、同伊藤幸也、同若林信蔵を、右猶予の期間中保護観察に付する。

押収にかかる日本刀四振((A)証第二号、(D)証第一号、同第十一号、同第十二号)、槍一本((D)証第二号)及びその鞘一本((D)証第七号)、拳銃二ちよう((A)証第六号、(D)証第九号)、弾丸二発((A)証第七号)は、いずれもこれを没収する。

証人吉田静枝に支給した訴訟費用は、被告人浜崎二三男の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人三木浅道は米田義明の率いる「わさび会」の若衆であつたが、昭和三十年十月頃、同会が解散したのを機会に、自ら独立して「三木会」を作り、神戸市兵庫区塚本通二丁目三番地の三に同会事務所を設けて配下を寝泊りさせ、市内兵庫区及び長田区かいわいのパチンコ店数店を縄張として、自らその責任者となり、配下とともに右パチンコ店の用心棒、景品買などをして生活をしていたもの、

被告人中田隆文、同浜崎二三男、同伊藤幸也、同若林信蔵、同山本勝、同山口芳清、同大頭章良は、いずれも右三木会の若衆であつて、同会若衆頭の相被告人寺井敏昭らとともに、交互に同会事務所に寝泊りして、前記三木会が縄張とするパチンコ店の用心棒や景品買をしていたもの、

被告人三木浅重は、右浅道の実弟であつて、前記米田義明の経営するパチンコ店毎日会館、同第二朝日会館などの責任者として、その店内の管理をしていたもの、

被告人橋詰啓一は、「山口組」組長田岡一雄の舎弟本多末春の配下である船山利夫の若衆であつたもの、

被告人森元幸男、同砂川忠雄は、いずれも右「山口組」の配下西岡勇を組長とする「西岡組」の若衆で、右西岡方に同居して、人夫や競輪ののみ屋などをして生活していたもの、

被告人上田三好は、上野武男、高森道行らが、同被告人の実弟上田清や近隣の友人を集めて作つた「夢野会」の会員と親交をもち、しじゆう右の者らと行動をともにしていたもの

であるが、

第一(被告人森元幸男、同砂川忠雄)

被告人森元幸男は、昭和三十二年五月十一日、神戸市兵庫区湊町四丁目三十四番地の一、パチンコ店毎日会館でパチンコをしていた際、同店の責任者である被告人三木浅重から、同店でパチンコをするのは遠慮してくれといわれていたのに、翌十二日午後七時前頃、また同店でパチンコをしていたため、同店に来合わせていた相被告人寺井敏明から、同店表路上で暴行を加えられたのみならず、その際、仲裁に入つた被告人三木浅道の被告人森元に対する態度が威圧的であつたと考えて憤激し、右被告人森元及び同砂川の両名は、その仕返しに右浅道方の自宅に殴込みをかけようと企て、同日午後九時前頃、被告人森元は日本刀一振((A)証第二号)を、同砂川は木刀一本((A)証第一号)をそれぞれ携えて、同市長田区四番町五丁目四十六番地の右浅道方自宅にいたり、被告人森元において、同家表ガラス戸を蹴破つたが、家人が不在であつたので、さらに右所携の日本刀で、玄関内につないであつた右浅道方飼犬スピツツの頭部に斬りつけて、これに切傷を負わせ、続いて右日本刀で玄関上り口附近のガラス障子の桟及びガラス数枚、同家表の窓ガラス等を乱打してこれを破壊し、その間被告人砂川において、同家の外側から右所携の木刀で右表窓ガラスを突き破り、もつて数人共同して器物及び動物を損壊又は傷害し

第二(被告人中田隆文)

被告人中田隆文は、同日午後九時過ぎ頃、前示第一のように被告人浅道方自宅に殴込をかけられたことを知つて激昂し、同じく右の事情を知つて右森元らの組長西岡勇方に復讐しようとする相被告人寺井とともに右西岡方に殴りこもうと決意し、右寺井は秋広銘白鞘日本刀((A)証第三号のうち検(証)第六号のもの)を、被告人中田は広正銘黒鞘脇差(同じく検(証)第五号のもの)をそれぞれ携え、同日午後九時三〇分頃、同市兵庫区湊町三丁目四十番地の右西岡方におもむいたところ、同人方は不在であつたが、たまたまその場附近に来合わせた西岡組組員尻池実を認めるや、被告人中田は、右寺井と共謀のうえ、殺意をもつて、右尻池を追いかけ、右西岡方の北方約六十メートルの路上で追いつき、被告人中田が、所携の右脇差で右尻池の左脇腹に斬りつけ、さらに附近の同町三町目二十四番地の一、坂本常義方に逃げこんだ右尻池の後を追い、右寺井が、同家表三畳の間において、所携の右日本刀を振つて同人の正面から斬りかかり、これを防ごうとした同人の左手掌を切り落し、よつて、同人に対し、約八十日間の入院加療を要する腎損傷を伴う左腎臓部切創、左示指、左手掌切断創等の重傷を負わせたが、致命傷とならなかつたため、同人を殺害するに致らず

第三(被告人橋詰啓一)

被告人橋詰啓一は

(一)  同日前示のように西岡組と三木組との間に喧嘩が起つたことを知り、同市同区湊町三丁目キネマクラブ北横附近を警戒中、同日午後九時三十分頃、人の騒ぐ声を耳にし、且つ、西岡組の者がやられたというのを聞いたので、右キネマクラブ裏の路地を南に向け前記坂本方附近へ行こうとしたとき、被告人中田、相被告人寺井らが、前示第二のとおり、西岡方に殴込みに来て尻池を日本刀で斬りつけたうえまさに引き揚げようとして右坂本方から表路上に出たところに行き合い、右中田、寺井ほか一名が、右坂本方附近から「おのれもいわしてやろうか」といいながら、各自所携の日本刀を振り上げ、狭い右路地(巾約三メートル八十センチ)を北に向け、横に一列になつて自分の方に詰め寄つて来るのを見るや、その機先を制するため、前記キネマクラブの真裏神港旅館(現在神苑旅館)前路上において、同人らのうちいずれか一名に対する殺意をもつて、約六メートルの距離から、所携の拳銃((A)証第六号)を同人らに向け、弾丸一発を発射したところ、同人らのいずれにも命中せず、おりからその南方約三十二メートルの路上を北に向つて歩行していた西野光子(当時三十二才)の右腕に命中せしめ、同女に対し、全治まで約八日間を要する右前膊(肘関節部)射創を負わせたが、致命傷とならなかつたため、人を殺害するに至らず

(二)  同日午後七時頃から午後九時三十分頃までの間、法定の除外事由がないにかかわらず、同市同区新開地本通寿座横の船山利夫方から、前記キネマクラブ裏路地附近まで、拳銃一ちよう(ビクター〇・三二吋スミス・ウエツソンCTGE廻転弾倉式、(A)証第六号)及び右拳銃に装填した実包弾丸五発((A)証第七号はそのうちの二発)を携行して、右拳銃及び弾丸を所持し

第四(被告人中田隆文、同伊藤幸世、同若林信蔵、同山本勝、同山口芳清、同大頭章良)

被告人中田隆文、同伊藤幸也、同若林信蔵、同山本勝、同山口芳清、同大頭章良は、前示第二のとおり、右被告人中田及び相被告人寺井が尻池実に対し瀕死の重傷を負わせたので、西岡組側からその仕返しがあるものと覚悟し、前記三木会事務所において、道具を集めて応戦の準備をしたが、その際右被告人六名は、前記寺井らと共謀のうえ、同日午後十時過ぎ頃から翌十三日午前六時頃までの間、法定の除外事由がないのにかかわらず、右事務所二階四畳半の間において、日本刀二振(中清作白鞘・(A)証第三号のうち検(証)第七号、及び、前掲の秋広銘白鞘・同じく検(証)第六号)を所持し

第五(被告人浜崎二三男)

被告人浜崎二三男は、かねて前記三木会事務所の東南側に隣接している吉田静技方の家屋を提供させ、これを自己の用途に改築する工事をしていたが、昭和三十三年一月三十日、右改築工事のため、西海組系統の戸田隆次が管理している隣接地の他人の板壁を無断で取り外し、且つ、隣接地に向つて出入口を設けたことから紛議を生じ、同日午後六時過ぎ頃、同被告人の行為を心外とする西海組系統の大町組の若衆から、同市兵庫区大開通三丁目五の二番地、大町組組長大町衛方に呼びつけられて、同組若衆の次郎こと生父佐重幸や前記戸田隆次らから、種々難詰されたうえ、右板壁を早急に復旧するよう約束させられたため、これを渡世人の恥辱と考えて激憤し、同日午後八時頃、前記三木会事務所にあつた黒鞘日本刀一振((D)証第一号証)を持ち出し、これを携えて右大町衛方に殴込みに行き、同家玄関口から「かしらおるか」と声をかけ、たまたま右玄関に応待に出た大町方運転手為本裕一(当二十七才)に対し、殺意をもつて、やにわに、右の日本刀でその左肩を右上から斜左下に斬りつけ、よつて、同人に対し、左側背部から左上膊部、肘関節部にわたる切創及び左上膊骨下端骨折(要加療日数約三ヶ月間)の重傷を負わせたが、致命傷とならなかつたため、同人を殺害するに至らず

第六(被告人三木浅重)

被告人三木浅重は、同日午後八時過ぎ頃、被告人浜崎が前記大町方に殴込みをかけたことを知り、被告人三木浅道ら数名とともに、前記三木会事務所にかけつけ、同所で右浜崎が前記為本裕一を斬つた顛末を聞き、且つ、右事務所の西北方約五十メートルの近距離にある大町方附近には、大町組側の応援者が続々集結している事態を目撃して、大町組からの反撃を予期し、これに応戦するほかはないと覚悟したが、三木においては、すでに前記西岡組関係の者らとの乱闘事件で兇器を押収されているため、手元には充分な道具がないことに気付き、同日午後八時三十分頃、同市生田区多聞通四丁目一番地刀剣商北野富三郎方にいたり、同人から日本刀二振(藤原兼光作の(D)証第十一号、則光作の同第十二号)を買い求めたうえ、これをもつて三木会の者らとともに大町組側の者らと対決し、同組側の者らを殺害する目的で、即時右日本刀二振を携え、右北野方から右三木会事務所にかけつけ、もつて殺人の予備をし

第七(被告人三木浅道、同伊藤幸也、同中田隆文、同若林信蔵)

(一)  被告人三木浅道、同伊藤幸也は、同日午後八時過ぎ頃、被告人浜崎が大町方に殴込みをかけたことを聞き、前記被告人浅重、相被告人寺井らとともに前記三木会事務所にかけつけ、被告人中田隆文、同若林信蔵は、右浅道らが右事務所に向うのに出会つて右のいきさつを知り、同人らに続いて右事務所にかけつけたが、以上の者らは、同所で留守番をしていたおけいこと影山喜江子から、被告人浜崎が大町組に殴込みをかけて為本裕一を斬つた顛末を聞き、且つ、前記大町方附近には同組側の応援者が続々集結するのを目撃するに及んで、一応は事態の解決を計るため、被告人浅道、相被告人寺井らが大町側に申入れをして話し合つたが、和解の見込みが立たなかつたので、事ここに及んでは大町組からの反撃は避けられないものと覚悟し、同日午後九時頃、右被告人浅道、同伊藤、同中田、同若林は、右寺井と共謀のうえ、殺意をもつて、大町組の者らを迎撃しようと企て、右事務所の階下玄関口に施錠をして二階四畳半の間に集まり、被告人浅道は所携の拳銃一ちよう((D)証第九号)を、被告人中田及び同若林は前示第六のとおり被告人浅重が買い求めて来て同事務所に置いてあつた日本刀二振((D)証第十一号及び第十二号)を各一振ずつ、同伊藤は同所にあつた槍一本((D)証第二号、なお同第七号はその鞘)を、相被告人寺井は前示第五の被告人浜崎が使用した日本刀一振((D)証第一号)を、それぞれ携えて待機していたところ、間もなく、大町組配下の田中武司及び前記生父佐重幸ら数名が、右事務所路地北西側から「さつきの返事はこれや」といつて、同事務所二階の窓をめがけて拳銃を発射しながら、襲撃して来たので、被告人浅道において、右二階の窓から、前記の拳銃で、同事務所玄関前にいた右生父佐及び田中の両名をめがけて弾丸数発を連続発射し、その一発を右田中の左肩附近に命中させたが、全治約七日間を要する左上膊擦過傷を負わせたに止まり、致命傷とならなかつたため、右両名を殺害するに至らず

(二)  被告人三木浅道は、同日午後八時過頃、法定の除外事由がないのにかかわらず、前記同市長田区四番町五丁目四十六番地の自宅から右事務所まで、拳銃一ちよう(米国製口径〇・三二吋アイバージヨンソン廻転弾倉式、(D)証第九号)を携行して所持し

第八(被告人上田三好)

被告人上田三好は

(一)  昭和三十二年十月十五日頃の夜、同市兵庫区荒田町三丁目荒田八幡神社西側広場において、おりから開催中ののど自慢大会を見物に来ていた山本勝三郎(当十七才)に対し、面を切つたと因縁をつけて口論のあげく、手で同人の顔面を殴打して暴行を加え

(二)  同月十九日夜、友人の前記高森道行が、青葉有司のことをあだ名で「ギヤン公」といつたため同人から暴行を加えられたうえ上田を連れて来いと呼出しをかけられたことを知り、右高森及び前記上野武男、上田清ほか四名とともに、酒井克治が同人方から持ち出して来た日本刀一振((B)証第一号)、短刀二振(うち一本が(B)証第二号)、木刀二本を分ち携え、同日午後十一時頃、同区荒田町四丁目の荒田グランドにいたり、同所において、右青葉及び被告人山本勝、同山口芳清ほか二名に対し、多衆威力を示し、且つ、前記の者らと共同して右の日本刀、短刀、木刀などで右青葉、山本、山口らに斬りかかつて暴行を加え

第九(被告人山木勝、同山口芳清)

被告人山本勝、同山口芳清は、同日夜、友人青葉有司が、前記第八の(二)のように、高森道行に対して暴行を加えたうえ被告人上田三好らに呼出しをかけたことを知り、右青葉及び別所博志ほか一名と共謀のうえ、同日午後十一時頃、右上田、高森らのグループと喧嘩する目的で前記荒田グランドにいたり、右上田、高森及び上野武男、上田清ほか四名に出会うや、被告人山本が所携の日本刀一振を、右青葉及び別所がそれぞれ所携の短刀各一振をもつて、右の者らに斬りかかり、双方入り混つて乱闘し、よつて、右上野武男に対し約一ヶ月間の入院加療を要する左胸部刺創を、右上田清に対し約一ヶ月間の治療を要する右手第一指及び左前膊切創を、順次負わせ

第十(被告人砂川忠雄)

被告人砂川忠雄は、昭和三十三年三月九日午後十一時過ぎ頃、ほか数名とともにタクシーに乗車して同市兵庫区福原町十番地キヤバレー「雪洲」前の道路上にいたつた際、同被告人らの車に他のタクシーが接触したことから、相手のタクシー運転手らと口論し、前記数名と共謀のうえ、右運転手の同僚で、たまたま同所附近にいたタクシー運転手小林成夫(当二十五才)に対し、やにわに手でその顔面、頭部等を数回にわたつて殴打するなどの暴行を加え、よつて同人に対し加療約五日間を要する左鼻背部打撲傷、後頭部打撲傷等の傷害を負わせ

たものである。

(証拠の標目)(略)

(被告人橋詰啓一につき、正当防衛の主張に対する判断)

被告人橋詰啓一の主任弁護人及び中垣弁護人は同被告人の判示第三の(一)の殺人未遂は正当防衛行為であると主張するが、右判示事実の認定について掲記した証拠によれば、同被告人は判示のとおり、自己に関係のある西岡組員が三木会員と喧嘩したことを知り、本件現場附近を警戒中に、西岡組の者がやられたということを聞き、喧嘩闘争を予期し、しかも拳銃を携帯して喧嘩の現場におもむき、相手方と遭遇するや、その機先を制するために発砲したものと認められるから、同被告人の本件行為は、自ら喧嘩の渦中に入つて行つてなした闘争的行為であつて、刑法第三十六条にいわゆる急迫不正の侵害に対し自己を防衛するため己むことを得ざるに出でた行為であるとは到底いうを得ない。よつて右弁護人らの主張は採用できない。

(被告人砂川忠雄の累犯となるべき前科)

被告人砂川忠雄は、昭和三十一年六月十一日、明石簡易裁判所において、窃盗罪により懲役八月に処せられ、当時その刑の執行を受け終つたもので、右の事実は同被告人の当公廷における供述及び同被告人に対する検察事務官作成の前科調書((A)検甲78号)によつてこれを認める。

(法令の適用)

被告人三木浅道の判示第七の(一)の田中及び生父佐に対する各殺人未遂の点は、いずれも刑法第二百三条、第百九十九条、第六十条に、判示第七の(二)の拳銃の不法所持の点は、昭和三十三年三月十日法律第六号銃砲刀剣類等所持取締法附則第九項、同法による廃止前の銃砲刀剣類等所持取締令第二条、第二十六条第一号、罰金等臨時措置法第二条に各該当するところ、右各殺人未遂の点は一個の行為で二個の罪名に触れるから、刑法第五十四条第一項前段、第十条により犯情の重い田中に対する殺人未遂罪の刑に従い、この殺人未遂罪につき有期懲役刑を、右取締令違反罪につき懲役刑を各選択し、以上は刑法第四十五条前段の併合罪であるから、同法第四十七条本文並びに但書、第十条、第十四条により、重い右殺人未遂罪の刑に法定の加重をしたうえで、同被告人を主文第一項の刑に処し、同法第二十一条により、主文第二項のとおり同被告人の未決勾留日数の一部を右本刑に算入し

被告人中田隆文の判示第二の殺人未遂、同第七の(一)の各殺人未遂の点は、いずれも刑法第二百三条、第百九十九条、第六十条に、判示第四の各刀剣の不法所持の点は、いずれも前記銃砲刀剣類等所持取締法附則第九項、同法による廃止前の銃砲刀剣類等所持取締令第二条、第二十六条第一号、罰金等臨時措置法第二条、刑法第六十条に各該当するところ、判示第七の(一)の各殺人未遂及び右各取締令違反の点はいずれも一個の行為で二個の罪名に触れるから、同法第五十四条第一項前段、第十条により、各犯情の重い田中に対する殺人未遂罪及び右忠清作日本刀についての右取締令違反罪の各刑に従い、この殺人未遂罪と判示第二の殺人未遂罪につきいずれも有期懲役刑を、右取締令違反罪につき懲役刑を各選択し、以上は刑法第四十五条前段の併合罪であるから、同法第四十七条本文、第十条により、重い殺人未遂罪のうち判示第二の罪の刑に同法第十四条の制限に従い法定の加重をしたうえで、同被告人を主文第一項の刑に処し、同法第二十一条により、主文第二項のとおり同被告人の未決勾留日数の一部を右本刑に算入し

被告人浜崎二三男の判示第五の殺人未遂の点は、刑法第二百三条、第百九十九条に該当するので、有期懲役刑を選択したうえ、同被告人を主文第一項の刑に処し、同法第二十一条により、主文第二項のとおり同被告人の未決勾留日数の一部を右本刑に算入し、訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項本文により、主文第六項のとおり同被告人に負担させることとし

被告人伊藤幸也、同若林信蔵の判示第四の各刀剣の不法所持の点は、いずれも前記銃砲刀剣類等所持取締法附則第九項、同法による廃止前の銃砲刀剣類等所持取締令第二条、第二十六条第一号、罰金等臨時措置法第二条、刑法第六十条に、判示第七の(一)の各殺人未遂の点は、いすれも同法第二百三条、第百九十九条、第六十条に各該当するところ、右各取締令違反及び各殺人未遂の点はいずれも一個の行為で二個の罪名に触れるから、同法第五十四条第一項前段、第十条により各犯情の重い田中に対する殺人未遂罪及び右忠清作日本刀についての右取締令違反罪の各刑に従い、右被告人両名とも、右殺人未遂罪につき有期懲役刑を、右取締令違反罪につき懲役刑を各選択し、以上は刑法第四十五条前段の併合罪であるから、同法第四十七条本文並びに但書、第十条、第十四条により、重い右殺人未遂罪の刑に法定の加重をし犯情に憫諒すべきものがあるので、同法第六十六条、第七十一条、第六十八条により酌量減軽をしたうえで、右被告人両名をそれぞれ主文第一項の刑に処し、同法第二十一条により、右被告人両名に対し、主文第二項のとおりその未決勾留日数の一部を右各本刑に算入し、諸般の情状を考慮し、右被告人両名に対し、同法第二十五条第一項を適用して、本裁判確定の日から主文第三項の期間、右各刑の執行を猶了し、同法第二十五条の二第一項前段により、右被告人両名を、主文第四項のとおり、保護観察に付し

被告人山本勝、同山口芳清の判示第四の各刀剣の不法所持の点は、いずれも前記銃砲刀剣類等所持取締法附則第九項、同法により廃止前の銃砲刀剣類等所持取締令第二条、第二十六条第一号、罰金等臨時措置法第二条、刑法第六十条に、判示第九の各傷害の点はいずれも刑法第二百四条、罰金等臨時措置法第三条、第二条、刑法第六十条に各該当するところ、右各取締令違反の点は一個の行為で二個の罪名に触れるから、同法第五十四条第一項前段、第十条により犯情の重い右忠清作日本刀についての右取締令違反罪の刑に従い、右被告人両名とも、右取締令違反罪、各傷害罪につきいずれも懲役刑を選択し、以上は刑法第四十五条前段の併合罪であるから、同法第四十七条本文、第十条により、最も重いと認める上野武男に対する傷害罪の刑に法定の加重をしたうえで、右被告人両名をそれぞれ主文第一項の刑に処し、同法第二十一条により、右被告人両名に対し、主文第二項のとおりその未決勾留日数の一部を右各本刑に算入し

被告人大頭章良の判示第四の各刀剣の不法所持の点は、いずれも前記銃砲刀剣類等所持取締法附則第九項、同法による廃止前の銃砲刀剣類等所持取締令第二条、第二十六条第一号、罰金等臨時措置法第二条、刑法第六十条に該当するところ、右各取締令違反の点は一個の行為で二個の罪名に触れるから、同法第五十四条第一項前段、第十条により、犯情の重い右忠清作日本刀についての右取締令違反罪の刑に従い、これについて懲役刑を選択したうえ、同被告人を主文第一項の刑に処し、諸般の情状を考慮して同法第二十五条第一項を適用して、同被告人に対し、本裁判確定の日から主文第三項の期間、右刑の執行を猶予し、同法第二十五条の二第一項前段により、同被告人を、主文第四項のとおり保護観察に付し

被告人三木浅重の判示第六の殺人予備の点は、刑法第二百一条に該当するので、同被告人を主文第一項の刑に処し、諸般の情状を考慮し同法第二十五条第一項を適用して、同被告人に対し、本裁判確定の日から主文第三項の期間、右刑の執行を猶予し

被告人橋詰啓一の判示第三の(一)の殺人未遂の点は、刑法第二百三条、第百九十九条に(検察官の釈明によれば、被告人橋詰の行為は、判示の被告人中田隆文、相被告人寺井敏昭ほか一名及び西野光子の四名に対する殺人未遂、すなわち四個の殺人未遂罪の観念的競合であるとして起訴されたものであるが、当裁判所は、被告人橋詰が、右の中田、寺井ほか一名に対する択一的殺人の故意に基いて拳銃弾一発を発射したのが、被告人橋詰の意識しなかつた通行人西野光子に命中し、判示のような傷害の結果を発生したのであつて、いわゆる打撃の錯誤による単一の殺人未遂罪が成立するに止まると解する)、判示第三の(二)のうち、拳銃の不法所持の点は、前記銃砲刀剣類等所持取締法附則第九項、同法による廃止前の銃砲刀剣類等所持取締令第二条、第二十六条第一号、罰金等臨時措置法第二条に、弾丸の不法所持の点は、火薬類取締法第二十一条、第五十九条第二号、罰金等臨時措置法第二条に各該当するところ、右拳銃の不法所持と弾丸の不法所持とは一個の行為で二個の罪名に触れるから、刑法第五十四条第一項前段、第十条により、重い右銃砲刀剣類等所持取締令違反罪の刑に従い、この罪につき懲役刑を、右殺人未遂罪につき有期懲役刑を各選択し、以上は刑法第四十五条前段の併合罪であるから、同法第四十七条本文並びに但書、第十条、第十四条により、重い右殺人未遂罪の刑に法定の加重をしたうえで、同被告人を主文第一項の刑に処し、同法第二十一条により、同被告人に対し、主文第二項のとおりその未決勾留日数の一部を右本刑に算入し

被告人森元幸男の判示第一の集団的器物損壊等の点は、暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条第一項(刑法第二百六十一条)、罰金等臨時措置法第三条、第二条に該当するので、懲役刑を選択したうえで、同被告人を主文第一項の刑に処し

被告人砂川忠雄の判示第一の集団的器物損壊等の点は、暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条第一項(刑法第二百六十一条)、罰金等臨時措置法第三条、第二条に、判示第十の傷害の点は、刑法第二百四条、罰金等臨時措置法第三条、第二条、刑法第六十条に各該当するので、右両者の罪につき各懲役刑を選択し、同被告人には前示前科があるので、右各罪につき同法第五十六条第一項、第五十七条により累犯の加重をし、以上は同法第四十五条前段の併合罪であるから、同法第四十七条本文並びに但書、第十条により重い傷害罪の刑に同法第十四条の制限に従い法定の加重をしたうえで、同被告人を主文第一項の刑に処し、同法第二十一条により、同被告人に対し、主文第二項のとおりその未決勾留日数の一部を右本刑に算入し、

被告人上田三好の判示第八の(一)の暴行の点は、刑法第二百八条、罰金等臨時措置法第三条、第二条に、同第八の(二)の集団的暴行の点は、暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条第一項(刑法第二百八条)、罰金等臨時措置法第三条、第二条に各該当するので、右両名の罪につき各懲役刑を選択し、以上は刑法第四十五条前段の併合罪であるから、同法第四十七条本文、第十条により、重い暴力行為等処罰ニ関スル法律違反の罪の刑に法定の加重をしたうえで、同被告人を主文第一項の刑に処し、同法第二十一条により、同被告人に対し、主文第二項のとおりその未決勾留日数の一部を右本刑に算入し

なお、(A)証第二号の日本刀一振は判示第一の犯行の用に供したもの、(A)証第六号の拳銃一ちようは判示第三の(一)の犯行の用に供し、且つ、同第三の(二)の犯行を組成したもの、(A)証第七号の弾丸二発は同じく右第三の(二)の犯行を組成したもの、(D)証第一号の日本刀一振は判示第五の犯行の用に供したもの、(D)証第二号の槍一本及び同第七号の右槍の鞘一本は判示第七の(一)の犯行の用に供しようとしたもの、(D)証第十一号及び第十二号の日本刀計二振はいずれも判示第六の犯行において殺人の用に供しようとしたもの、(D)証第九号の拳銃一ちようは判示第七の(一)の犯行の用に供し、且つ、同第七の(二)の犯行を組成したもので、以上いずれも犯人以外の者に属しないものであるから、(A)証第二号、(D)証第一号、同第二号、同第七号、同第十一号及び同第十二号については刑法第十九条第一項第二号、第二項を、(A)証第六号、(D)証第九号については同法第十九条第一項第一号、第二号、第二項を、(A)証第七号については、同法第十九条第一項第一号、第二項を各適用して、(A)証第二号は被告人森元幸男及び同砂川忠雄から、(A)証第六号及び第七号は被告人橋詰から、(D)証第一号は被告人浜崎二三男から、(D)証第二号、第七号及び(D)証第九号は被告人三木浅道、同伊藤幸也、同中田隆文、同若林信蔵から、(D)証第十一号及び第十二号は被告人三木浅重から、それぞれを没収する。

(判示第四の刀剣不法所持の公訴事実についての判断)

判示第四の刀剣不法所持については、その公訴事実は、判示被告人中田隆文、同伊藤幸也、同若林信蔵、同山本勝、同山口芳清、同大頭章良らは、判示相被告人寺井敏昭と共謀のうえ、判示日時場所において、西岡組から殴込みがあるものと予想し、これに応戦する目的で判示日本刀二振を含む「日本刀五振」を所持したというのであり、そして、判示被告人らが、共謀して、その日時場所で判示の(A)証第三号のうちの検(証)第六号及び検(証)第七号の日本刀二振を所持するに際し、右二振のほか、同じく検(証)第五号、同第八号、同第九号の三振の日本刀をも所持していたことは、前掲判示第四についての各証拠によつて、これを認めることができる。そして、右証拠中の相被告人寺井敏昭の当公廷における供述、及び、文化財保護委員会刀剣審査委員稲田慶二作成の「刀剣の登録済みの有無について照会の件回答」と題する書面((A)検甲81号)、並びに(A)証第四号の「銃砲刀剣類登録証」三通、(A)検甲27号の司法巡査作成の昭和三十二年五月二十日付捜査復命書及び添付の兵庫県教育委員会社会教育課長吉岡平雄作成名義の証明書によると、検(証)第六号の秋広銘白鞘日本刀一振及び検(証)第七号の忠清作白鞘日本刀一振については制規の登録がなされていないことが認められるが、右検(証)第五号の広正銘脇差は登録記号番号兵庫第二四七〇七号、同第八号の服部正広銘軍刀は登録記号番号兵庫第二四七〇六号、同第九号の無銘赤鞘日本刀は登録記号番号兵庫第二四七〇八号をもつて、いずれも三木浅道名義により、銃砲刀剣類等所持取締令第七条の規定による登録がなされていることが明らかである。従つて、前記登録のある日本刀三振については、これを所持しても違法ではなく、本件におけるように、それが西岡組からの殴込みに備え、これに応戦する目的で、これらの日本刀を所持していたとしても、その目的の故に右の所持が違法になるわけではないから、右の日本刀三振については不法所持罪は成立しないといわなければならない(最高裁判所昭和三十二年(あ)第四三〇号、同年十月四日判決参照)。

なお、相被告人寺井敏昭は、右の検(証)第六号の秋広銘白鞘日本刀一振については、同令第七条による登録を申請し、本件犯行当時その手続中であつた旨当公廷において供述しているので、登録手続中の所持と不法所持罪の成否との関係について考察する。

およそ前記銃砲刀剣類等所持取締令第二条、第二十条の趣旨とするところは、銃砲又は刀剣類の所持は、同第二条所定の除外事由がない限り、全面的に禁止されているのであつて、同条第四号の場合についていうと、同令第七条の規定による登録のない銃砲刀剣類を入手するときは、その所持は違法であるが、ただ例外的な場合、これを例えば、発見又は拾得若しくはこれに準ずる形で偶発的に所持を開始するに至つた者が、すみやかにその旨をもとより警察署に届けいで、且つ、遅滞なく所定の登録申請をしたときには、登録の可能性がないことがあらかじめ認識されるような場合を除き、その所持開始の時から登録成否の時までの所持は、違法性が阻却され、不法所持罪として処罰されないものと解し得られるが、そうでなく、一般に売買、交換、贈与等により、登録を受けていない銃砲刀剣類の所持を開始するに至つた場合には、たとえ、その後登録の申請をしたとしても、その所持開始の時から現実に登録がなされるまでの間の所持は違法であつて、不法所持罪として処罰されることになるのである。従つて、銃砲刀剣類の所持について前記のような特別の例外事由のない以上、単に登録手続中であるというだけでは、その銃砲刀剣類の所持が適法であるということはできない。これを本件の秋広銘白鞘日本刀一振についてみるに、前記稲田慶二作成の証明書((A)証第五号)の記載及び前掲相被告人寺井敏昭の検察官に対する昭和三十二年五月二十四日付供述調書((A)検甲30号の1)並びに右相被告人及び被告人伊藤幸也の当公廷における各供述によれば、相被告人寺井敏昭は、昭和三十二年四月中頃、知人から無登録の右日本刀一振を金千五百円で買い受け、同月末頃になつて、初めて被告人伊藤をして、有りあわせの同浜崎の印を使用して同人名義で登録申請をさせ、本件犯行当時は、登録手続中であつたが、判示西岡組との乱闘事件のため、制規の登録がなされずに終つたことが認められる。そうすると、右寺井は、前記の日本刀を買い受けてその所持を開始し、約半月後に至つて登録を申請したのであるから、本件犯行当時登録手続中であつても、現実に登録がなされるまでは、その所持が違法であることに変りはない。そして他に右日本刀の所持の違法性を阻却すべき事由は認められないから、その所持は同令第二条違反罪を構成するものといわなければならない。

してみると、結局、判示の日本刀二振の所持は、違法であつて罪となるが、その余の日本刀三振の所持自体は、同令第二条違反罪とはならないわけである。しかし、右日本刀三振の所持は、判示の日本刀二振の所持と刑法第五十四条第一項前段の関係にあるものとして起訴されていると認められるから、特に主文において無罪の言渡をしないこととする。

(裁判官 山崎薫 野間礼二 大石忠生)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例